ターニシュ家は、1636年にはもうすでにベルンカステルの村にその名が記録されており、1800年には「村一番の卓越したワインの生産者」と記述されていると言います。この著名なドクトールの所有者として有名で、この外ベルンカステル、ブラウネベルグ、グラッッハーに畑を所有しています。
「ドクトールの畑はどこまでなのか?」と長い間争われてきましたが、1982年に訴訟も結審され、この【ドクトール】の畑を名乗れるのは、ターニッシュ、ダインハート、タウアーブルグの3醸造所だけになりました。その後ターニッシュ家の本家・分家の係争で分割され、14代目のシュピアー夫妻のドクトールの畑は約1haほどになってしまいました。
<ドクトール畑の名の由来>
トリーアの司教であったボエムント2世(在位1354-1362)が夏の居住地としてこの地のランズフート城に滞在したある年、司教は重い病気にかかり、どんな薬も効果なく侍従の医者からもさじを投げられる状態となった。そこへ一人のワイン農夫がやってきて、小樽からグラス一杯のワインを注ぎ、渡した。ワインはこの地随一の南斜面からとれたもの。このワインを一杯、二杯と飲んでいくうちに、司教は元気を取り戻し、褒美にとこの畑に「ドクトール」の名を冠することを許したという。
これが伝説によるドクトールの名の由来となっています。
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