ドメーヌ・ユエ
Domaine Huet
ヴーヴレィきっての生産者「ソシエテ・ユエ」
ソシエテ・ユエの創始者、ガストン・ユエ Gaston Huetは、1910年、オーヴェルニュ地方 Auvergne、クレルモン・フェラン Clermont-Ferrandとサン・ネクテール Saint-Nectaireの中間に位置するプローザ Plauzatに生まれました。小さな醸造家を父に持ったガストンは、パリで育ちましたが、父親が病に倒れ、その療養の為に1928年ヴーヴレの田舎に引っ越します。
ガストンは、ル・オー・リューのぶどう畑が、現在売りに出されていることを友人から聞きます。最初は、ル・オー・リューの小さな5ヘクタール畑からのスタートでしたが、1953年にはル・オー・リューよりさらに歴史の古いぶどう畑のル・クロ・デュ・ブールを、そして1957年にはル・モンを購入し、現在では、あわせて35ヘクタールのぶどう畑を所有するまでになりました。
当時、ヴーヴレ産のワインは、全く知名度がありませんでしたが、パリ、ナント、リールなどで行われたワイン見本市に出展したことで、ヴーヴレ産のワインの名は広まり、加えて、ワイン研究家で、国際ワイン・アカデミー会長をつとめるジャック・ピュイゼ Jacques Puisaisの目にとまり、「ヴーヴレの造り手、ガストン・ユエ」の名が、フランス国内をはじめ、アメリカ、イギリス、そして日本にまで知れ渡るようになったのです。
ガストン・ユエは、ヴーヴレを代表するル・クロ・デュ・ブール、ル・モン、ル・オー・リューなど数多くの金賞受賞ワインを造ることから、フランスワイン界の重鎮とされ、ロワールINAO会長(20年間)、トゥーレヌ・ワイン生産者組合代表(14年間)、フランス・ワイン・アカデミー会長などもこなしてきました。
現在ソシエテ・ユエでは、娘婿のノエル・パンゲNoel Pinguetがぶどう畑の現場を取り仕切っています。
ノエル・パンゲは、「近代化も大切ですが、伝統を守り続けることも大切です。美味しいワインというものは、自然の恵みが醸し出す味わいを見事に表現しているものです。」と言います。これは、ガストンと全く同じ意見です。
ガストンは、伝説のヴィンテージ1945,1947,1959を造りました。
後継者のノエル・パンゲは、ガストン譲りの伝説のヴィンテージ1989,1990,1997を生みました。これから迎える新たな時代もノエル・パンゲの造る伝説のヴィンテージが期待されています。「ワインに出来の悪いヴィンテージというものは存在しません。ヴィンテージごとの違いはありますが、私はその年ごとの天候で生まれた、自然の恵みが醸し出す味わいを大切にし、ぶどう果の酸味や糖分を生かしたワイン造りをしています。」
TANAKA-YA扱いのユエのワイン |
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