人名 :
Person


●アベルト・アントニーニ Alberto Antonini イタリア

アンティノリの元醸造長で、テスタマッタを醸造して一躍時の人となった天才エノロゴ。2010年・現在、フリーのエノロゴとして,ビービー・グラーツ,ラ・クエルチェ,ポッジオ・アル・テッソーロ(デディカート・ア・ウォルター),ポデーレ・サン・ルイジ(フィデンツィオ)といったイタリアのアジェンダのみならず,スペイン,チリ,アルゼンチン,カリフォルニア,オーストラリア,南アフリカなどにも活動の場を広げている。⇒ 詳細


●エツィオ・リヴェッラ Ezio Rivella :イタリア

バンフィ・モンタルチーノの最高醸造責任者。1974年にイタリア醸造協会会長に就任、1986年まで努め、当時自社で瓶詰することの少なかった小生産者の多いイタリアワイン業界に量より質の時代に向けて技術指導を進めた。バンフィ・モンタルチーノの大開拓に従事すると同時に、1980年からは国際醸造家協会の会長に就任。フランス人以外で会長を努める最初の人で、在任期間も3期9年間という例外的存在であった。バンフィ・モンタルチーノがグランドオープンした翌1985年、イタリア政府より「カヴァリエレ・デル・ラヴォロ Cavaliere del Lavoro 」の称号を授与された。1994年DOCワイン委員会会長に就任、1998年まで努めた。現在はOIV世界葡萄・葡萄酒機構の副会長である。(ヴィノテーク1999/5月号より)


●カルロ・フェリーニ Carlo Ferrini : イタリア

1954年フィレンツェに生まれる。1978年にフィレンツェ大学の農業化学学部の博士課程を主席で卒業した後、キャンティ・クラッシコ協会に勤務。1986年より1991年まで技術部門の責任者を務める。この間、協会のラボで研究に勤しむ一方、協会に属するワイナリーに葡萄栽培及び醸造に関する助言を与えるなど、キャンティ・クラッシコ地区におけるワイン・メーキングのスペシャリストとして地区全体のクオリティの著しい向上に貢献した。このようにキァンティ・クラッシコのワイン造りに全身全霊を捧げたフェリーニの功績は、これまでに獲得した輝かしい賞により証明されている。先ず、2000年、ガンベロ・ロッソで名誉ある「ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれると、2003年にはイタリア・ソムリエ協会の「ベスト・エノロジスト」、さらに2007年にはワイン・エンスージアストの「ワイン・メーカー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれるという偉業を成し遂げた。この3冠を達成したのは、フェリーニの他にスーパー・タスカン<ソライア>、<オルネライア>の生みの親であるリカルド・コタレッラしか存在しない。
 

●ジャン=クロード・ベルエ Jean-Claude Berrouet

1963年,22歳でムエックス社に入社以来2007年まで、ムエックス・グループの最高醸造責任者として44年間シャトー・ペトリュスの醸造に携わってきた醸造家。ムエックスのコンサルタントを務めるとともに、現在はラランド・ポムロールにシャトー・サミオンを持ちワインを生産する。また、故郷のイルレギーでDm.エリ・ミナを構まえる。

●デイヴィッド・レット David Rett

アメリカ、オレゴン州のジ・アイリー・ヴィンヤーズのオーナーにしてワインメーカー。シカゴで生まれソルトレイク育ち。大学で哲学を学んだあと、医者になろうとしていたが、ある夏ナパ・ヴァレーをドライブした際、ワインの魅力に惹かれ、ワインメーキングの道を目指しUCデイヴィス校で栽培・醸造学を取得。その後ブルゴーニュ、アルザスの生産者を尋ねまわり、オレゴンがピノ・ノワールの栽培適地だと悟り、1966年にダンディー・ヒルズにブドウを植えはじめた。
1979年にパリで開催されたゴーミヨ誌のブラインドテースティングによるワインオリンピックで1975ピノ・ノワールでベスト10に入り、脚光を浴びる。これはオレゴン、ひいてはアメリカのワイン産業にとって画期的なことで、今では伝説的に語られている
ジ・アイリーのワイン→
オレゴン・ピノ・ノワール

●ドミニク・ローラン Dominique Laurent

ブルゴーニュの新進気鋭のネゴシアン。さらにはローヌのミシェル・タルデューと組んで、ローヌ、コルビエールでも名声をゲット中 → もっと詳しく


●ドゥニ・デュブルデュー Denis Dubourdieu

ボルドー大学教授であり、白ワインの偉大な醸造家であるだけでなく、彼の知識を持ってすれば、ぶどう栽培は全く不可能または、非常に難しいといわれてきた場所でも、全く異なった種類のぶどうを使用して、世界レベルのワインができるということを何度も証明しており、シャルドネ種ではない白ワインの復活、そのワインへの関心を世界にもたらした人物です。日本でも「甲州ワインプロジェクト」に醸造コンサルタントとして参画。
「マセラシオン・ペリキュレール」の技術でボルドー白ワインに革命をもたらしたとして『パリ科学アカデミー賞』を受賞した醸造学の第一人者。Ch.カルボーニュ、Ch・ド・フューザル、Ch.ラトゥール・マルティヤックなどのコンサルタントも手がけています。
また、自身、ボルドーのクロ・フロリデーヌ、グラン・クリュ・クラッセに格付けされているソーテルヌ、ドワジー・デーヌなどいくつかのシャトーのオーナーでもあります。
 


●ニコラ・ジョリー Nicolas Joly : フランス

2003/01/29
ビオデナミのセミナーで

1976年に米国より帰国、葡萄栽培の見習をはじめた。当初は、他の農家と同じように除草剤や化学肥料を使って栽培していたのである。しかし畑に昆虫がいなくなり、土壌も明らかに変質しているのに気づいた彼は、ルドルフ・シュタイナ−が提唱するバイオダイナミック農法に取り組むことを決め、現在では、ビオディナミの中心的存在となっている。


●パスカル・リベロー・ガイヨン Pascal Ribereau Gayon : フランス

1930年ボルドー生まれ。70年ボルドー第二大学教授に就任。同大学ワイン醸造研究所所長(76年)、95年にワイン醸造学学部長就任、現在にいたる。科学アカデミー、フランス国家農業アカデミーのメンバーでもある。ブドウ成長に及ぼすタンニンの性質研究、ブドウの成熟とマロ・ラクティック発酵など多岐にわたる研究を行っている。約20年前からフランフのワインメーカー、ウィリアムビターズ社(提携宝酒造)のテクニカルアドバイザーを努めている。


●ポール・ドレイパー Poul Draper : アメリカ

ネット上の大塚食品のコラムページに立花峰夫 さん(フリーのワインライター/翻訳者)がポール・ドレイパーについて9回にわたり「Who’s Paul Draper ?」として連載してあります。その書き出しは
リッジ・ヴィンヤーズの醸造家、ポール・ドレーパーはスーパースターである。アメリカ・ワインの歴史は、花形醸造家を抜きにしては語れないが、その中でもポールの存在はかなり突出している。世界市場でアメリカ・ワインの歴史が始まったのは1970年代。その時代からずっと、ポールは当地の看板役者の椅子に座り続けている。ワインに関する世界の主要な賞を総ナメし、その発言は、昔から異常なほど高い頻度でワイン・メディアに取り上げられてきた(アメリカを扱ったワイン本には、必ずポールのコメントが大量に載っている)。からはじまっています。
ここでとやかく記載するよりもそちらを読んでいただくのがベストだと思いますので、そちらのリンクを張っておきます。
http://www.otsukafoods.co.jp/ridgewine/column_lst1.html


●ヒュー・ジョンソン Hugh Johnson : イギリス

ワインジャーナリスト。現在、ロンドンから約80km北東部にあるエセックス郊外の広大な土地に立つ邸宅に住む。6万人の会員を擁するサンデー・タイムス・ワインクラブ会長。ボルドー第一級のシャトー・ラトゥールのディレクターも努めている。 著書 「ザ・ワールド・アトラス・オブ・ワイン」「ポケット・ワイン・ブック」ほか多数。
このイメージはジャーディンW&S社のHPより借用しております。


●ヒュー・ライマン Hugh Ryman :

「ライマン・ワインズ社」の代表を務めるヒュー・ライマンは、複数の国においてワイン造りを行うフライング・ワインメーカーとして、欧米をはじめ世界各国で広く知られる醸造家です。
ヒュー・ライマンは、1980年代よりフランスでワイン醸造を開始し、その後留学したオーストラリアで「ぶどう本来の果実の味・風味がそのまま活かされたワイン」の素晴らしさを知り、現在のワインスタイルを確立しました。

以来どの国・地域においてもそれをワイン造りの哲学としています。留学後ヨーロッパに戻ってからの活躍はめざましく1991年ハンガリーに進出。フライング・ワインメーカーとしての一歩を踏み出す。現在までに世界12カ国でワインの醸造に携わり、まさに“世界中のワインを知る醸造家”となりました。ヒュー・ライマンの醸造したワインは数々のコンクールで受賞歴を持ち、高い評価を得ています。次々と素晴らしいワインを造り出すヒュー・ライマンは、ワイン界において“ワインの革命児”とまで称されています。また現在、ヒュー・ライマンは、世界的に有名なワインコンクールの審査員やワインコンサルタントなど幅広い分野で活躍しています。(アサヒビール・ワインカタログより転記)


●フィリップ・ショー Philip Shaw : オーストラリア

ローズワシー大学で醸造学を修める。リンデマンなどの醸造家を経て、82年ローズマウントの醸造責任者に迎えられ、100人のスタッフを率いる。86年にロンドン国際ワインコンペでメーカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。毎日平均4時間をワイナリーでのティスティングとブレンディングに費やすという。膨大な時間をかけ、スタンダードワインの完成度にも手を抜かない。
また、カンタス航空主催のオーストラリアの有名なワイン専門誌「カンタス/ザ・ワインマガジン」のワインメーカー・オブ・ザ・イァー1999にも選ばれました。
現在(2010年)はNSW州、オレンジに自分のワイナリー「キュムラス」で活躍中。


●ルロワ Modome Lalou Bize Leroy : フランス

マダム、ラルー・ビーズ・ルロワ。ブゴーニュのドメーヌ、ルロワ社オーナー。1933年生まれ。1959年から父の経営するルロワ社でネゴシアンとして腕をふるう一方、父親アンリ・ルロワが1942年権利の半分を購入したドメーヌ・デ・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)の経営にも参画。しかし、共同経営者とのトラブルから1992年、ルロワ社はDRCの経営から外されることになる。1980年後半から、婦人は、ロワール、クーレー・ド・セランでビオデナミによるワイン造りを行っているニコラ・ジョリー氏を訪ね、以後先祖帰りの農法とも言われる無農薬の自然農法によりワイン造りをしている。ネゴシアンとしてより、ドメーヌとしてブルゴーニュの新たな星となりつつある。マダム・ルロワとビオデナミについては
「マダム・ルロワの愛からワイン」星谷とよみ著/文園社 \2,500.
をご一読ください。