【2016ヴィンテージについて生産者コメント・・・インポーターのメールより転載】
さて、今年もシネ・クア・ノン用語の時間です。
ワイン狂がワインの事をなにか伝えようとすると、その言葉は奇妙でミステリアスな表現になってしまう事をワインラバーの皆様はよくご存知でしょう。
これらのワイン用の「方言」(vernacular:英語)は、ワインに侵されている人達にとっては普通のことでも、一般の人にとっては実に奇妙に聞こえます。
あるワインを、「葡萄らしい」「ジューシー」「渇きを癒す」といった言葉で形容することは出来ません。
それらの言葉では十分定義出来ていないし、専門家には魅力的に聞こえないし、洗練されていません。
なので結局「素晴らしい塩梅」「テロワールがよく表れている」「驚くほどフレッシュ」というような表現になってしまいます。
「余韻」、「エッジ」、「複雑」、「エレガント」、「ハーモニー」のような言葉が多用されます。
ワインに関して思いつく限りの形容詞がどんどん出てきます。いくつかはショッキングなほど想像力豊かで、驚く程的確。
またいくつかは脱力するくらい人工的で、尊大で役立たず、非生産的で単に突飛。
誰が古代のサンダルウッドの香りを本当にわかるでしょう?
これらの非現実的な言葉は当惑させるだけで、ファンタスティックで美味で生活を高めるワインの世界に導きはしません。
自然がもたらす葡萄の恵みと、それをワインにする職人の営みは多分何百年も変わっていません。たしかに現代はフォークリフトやエアコン、ステンレスタンクなど便利な機器もあります。しかし基本の過程は古代から同じで、ほんの少しだけ近代化しただけです。
近代の科学や代々培われてきた経験則などから得られる情報、知恵はあります。しかし大いなる自然は、それを弄び、我々がどんなに上手く切り抜けたと思っても、そこには意味深な余白が隠されています。それを「Ratsel」(謎、ミステリアス:独語)と表現しましょう。
「Dirt
Varnacular」(土の付いた方言)は、自然がその営みの中で、我々に叫び、からかい、仄めかし、囁き、長々と演説をしてくるのでそのような名前になりました。
私達のワインは決して安くはありませんが、もしこの2つのワインを飲んだらその価値をきっと分かって頂けるでしょう。
アントニオ・ガッローニとジェブ・ダナックがこの前試飲に来ました。試飲のとき彼らは感情をあまり表に出しませんでしたが、アントニオが何度か「WOW」というのを聞きましたし、ジェブに至ってはまだうちのオフィスで心肺蘇生中です。
2016のグルナッシュを形容するなら「栄光の中にいる勇ましい女性」です。私のメモ書きには「グルナッシュにしては非常にダークな色調。只々美しい。」とあります。
2016のシラーはいつも通りしっかりとした骨格があり、ダークで、ポテンシャルを秘めています。今まであなたが見てきた中で最もハンサムなワインでしょう。
もしジョージ・クルーニーがもっと筋肉質で、もっと粗雑で、もっと誠実であればこのワインの名前は「ジョージ・クルーニー」だったかもしれません。
是非このワインを逃さないでください。もし見逃して市場から消えてしまえば、あなたはこれらのワインの素晴らしいという評判を聞くことしかできなくなってしまいます。
ワインは聞く為でなく、味わう為に造られたのだから。