- ワイナリーの所在地であるダイデスハイム村に位置し、1533年に記録が残る、この地域でで最も歴史のある特級畑のひとつカルコフェン畑産。
砂質土壌に石灰岩が豊富に含まれる畑からは大胆で華やかなアロマ、柔らかく豊満で凝縮感のある果実味、高い酸を湛えた素晴らしいリースリングが生まれます。
ワインアドボケイトでは「リースリング版ムルソーのようだ」とコメント付きで95〜96点の高評価を勝ち取った1本。
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- フォン・ウィニングでは、一級畑から収穫されたリースリングを500L、1,200L、2,400Lの異なるサイズのオーク樽を組み合わせて醗酵・熟成し、特級畑のリースリングは500Lのフレンチオーク樽で醗酵・熟成させています。
今日では、リースリングの醗酵・熟成にステンレスタンクを使用することが世界的な主流となっていますが、これはステンレスタンクが開発される1950年代以降に広まった手法です。フォン・ウィニングでは、長いワイン造りの歴史の中で伝統的に行われていた「リースリングの樽醗酵・樽熟成」を現代にいち早く蘇らせました。復活当初は周囲からの批判も多かったそうですが、オーク樽がもたらす複雑味や味わいの奥深さ、ワインの力強さが高く評価され、今ではフォン・ウィニングに倣い、この手法を採用する生産者も増えています。
「リースリングの樽醗酵・樽熟成」はフォン・ウィニングのアイデンティティの一つであり、誇りでもあるのです。
- ワイナリーの歴史は19世紀初頭、ドイツ南部のファルツ地方で名声を誇った「ジョルダン・エステイト」に遡ります。
1848年、この銘醸ワイナリーは、当主の死により3人の子供に分割相続されます。その一人でエステトの娘夫婦ダインハード家が父親から分割相続した畑をもとに「ダインハード醸造所」を設立。そして、1907年にはさらにその娘夫婦にあたるフォン・ウィニング夫妻へと継承され、ワイナリー名は「Hauptmann
von Winning'sches Edelweingut」に改められました。
1907年に継承されたワイナリーは、夫レオポルト・フォン・ウィニング氏の揺るぎない情熱に支えられ、クオリティは次のレベルへと昇華しました。レオポルト・フォン・ウィニング氏は、900年前に皇帝から称号を与えられた貴族の流れを汲む人物ですが、ワイン造りに大変な情熱を注ぎ、現在のドイツ優良生産者組合「VDP」設立の功労者にもなります(VDPの前身にあたる「Deutscher
Weinbauverband」の設立者でもある)。こうして、「フォン・ウィニング」の名前はそのまま優れた品質を表すようになります。
- 第一次大戦までの間、ファルツで最も輝くワイナリーとなりますが、大戦後の1918年、売却されたワイナリーはフォン・ウィニングの名を使用することが許されず、その名称を元の設立者の名であるダインハードに戻し、「Dr.ダインハード醸造所」に改めました。
「フォン・ウィニング」の名を冠した現在のワイナリーは、こうした複雑な相続と売却の背景を持つ銘醸ワイナリーに再び命を吹き込むプロジェクトとして、2007年に起業家のアヒム・ニーダーベルガー氏の手により誕生しました。ニーダーベルガー氏は分割でバラバラになってしまっていたダイデスハイムの銘醸ジョルダン・エステイト(いわゆるJordan'sche
Teilung)を構成していた3つの醸造所、「Bassermann-Jordan醸造所」、「Von Buhl醸造所」、さらに「ダインハード醸造所」を5年の歳月をかけて買い取ります。これら3つのエステイトは独立して運営されていますが、フォン・ウィニング家の流れをくむダインハード醸造所は、ニーダーベルガー氏が同家とと非常に親しい関係にあったことから、再び「ヴァイングート・フォン・ウィニング」として蘇り、最高責任者にステファン・アトマン氏を迎え入れることで新たな一歩を踏み出しました。
ワイナリーでは、「畑の可能性を引き出し、最高品質のワインを造る」ことをモットーに、フォン・ウィニングとドクター・ダインハードの二つのブランドを掲げてクオリティワインを生み出しています。長年受け継がれてきた遺産や伝統を大切にするとともに、最新の設備・技術をもってワイン造りを行っていくことで、新たな歴史を刻みはじめています。
⇒つづき
ヴァイングート フォン・ウィニングのワイン
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● D-555 Dr.ダインハード、ダイデスハイマー シュペートブルグンダー
Qba
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● D-558 フォン・ウィニング、フォルスター ウンゲホイヤー リースリング GG
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● D-559 フォン・ウィニング、ダイデスハイマー カルコフェン リースリング
GG
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